一、《步履不停》人生路上,步履不停,总有那么一点来不及 日语原文
「ノンストップウォーキング」ライフロード、ノンストップ歩行、常に少し遅すぎます
翻译成中文就是人生路上,步履不停,总有那么一点来不及。这句话讲出了亲情、讲出了人生、讲出了宽恕的作品。
枝裕和用慢节奏的叙述方式描述了这一切,让我们一步一个脚印的跟着走了一遍人生的路。
步履不停(歩いても 歩いても)就是不停的走。我们在人生的路上也是一直走,一直走。主观上停不下来,客观上时间一去不复返,想停也停不下来。
扩展资料
1、枝裕和的《步履不停》于2008年被改编成电影。
主要剧情是讲述横山家的次子良多回到久别的老家,一家人因大哥纯平的忌日团聚在一起的故事。
由演员阿部宽饰演良多。恭平的二儿子,职业为绘画修复师,目前正处于失业中。他没有继承父业,宁可失业也不愿接父亲的班,并娶了育有一子的寡妇由香里为妻。因为总被父亲拿来与大哥做比较,父子俩的关系比较紧张。
演员夏川结衣饰演由香里。作为良多的妻子。她和前夫育有一子,刚和良多结婚不久,俩人相互扶持一起生活。她和良多一同回来祭奠大哥,内心时刻担心着公公婆婆不能接受自己,为人处事小心翼翼。
2、枝裕和的《步履不停》电影获奖情况
(1)第32届日本电影学院奖最佳女配角
(2)第3届亚洲电影大奖最佳导演
(3)第3届亚洲电影大奖最佳女配角
(4)每日电影奖最佳男主角
(5)马塔布拉塔国际电影节评审团大奖
(6)马塔布拉塔国际电影节最佳影片
3、《步履不停》精彩语录:
(1)人生路上,步履不停,总有那么一点来不及。已经是夏末的季节了,院子里的紫薇花开得璀璨,黄斑蝶在山坡上翩然飞舞着。横山良多与妻儿一同返回位于湘南海边的老家。久违的横山一家人,每年只有在大哥纯平的忌日才会团聚。
在沁凉的麦茶、红透的西瓜、母亲绝手的好料理炸玉米天妇罗,加上外卖的寿司和鳗鱼饭之间,闲散地度过看似平凡的一天。然而他们细细分享品尝着的,却是欢笑背后隐隐的哀伤,小心翼翼的对话又忍不住的争执中,不经意触动的回忆以及深藏在彼此心中不曾说出口的秘密……
(2)也许,人生本身就是一个不停放弃的过程,放弃童年的无忧,成全长大的期望;放弃青春的美丽,换取成熟的智慧;放弃爱情的甜蜜,换取家庭的安稳;放弃掌声的动听,换取心灵的平静,当我们能够放弃,做到简单、从容活着的时候,我们生命的低谷就过去了。
参考资料来源:百度百科—步履不停 (是枝裕和著作)
参考资料来源:百度百科—步履不停(电影)
二、"余心之所善兮,虽九死其犹未悔" 翻译成日语
亦余心之所善兮,虽九死其犹未悔。
善:向往、理想
自分の梦のためなら、何回死んでも悔いはしない。
For the ideal that I hold dear to my heart,I'd not regret a thousand times to die.
三、夸父追日 日语翻译
夸父逐日(かほちくじつ) /夸父追日
夸父、日を追う/夸父追日
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「夸父」という名の若者が太阳と駆けっこをし、太阳が山に落ちる寸前にやっと追いついた。
そして夸父はとても喉が渇いたので黄河と渭河の水を饮み干した。
でもまだ饮み足らず急いで北にあると言われる大きな湖を目指したが、途中で喉が渇き死んでしまった。
この时、大変长い杖を落とした。后にこの杖から根がでて成长し、あたり一面见渡す限りの桃畑になった。
(身の程知らず、能力をはるかに超えた愿望を持つ事のたとえ)
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夸父、日を追う/
中国国际放送局
太古の时代、北方の荒れた原野に云に届くような高くそびえた山があり、深い森にはすごい力をもつ巨人たちがいた。彼らの首领は両耳に金色の蛇を吊るし、両手には金の蛇を握っており、その名は夸父という。したがってその一族の名も夸父族である。夸父族の人々は心が优しく、勤勉な上勇敢で、他人と争い事をせず、自由自在に暮らしていた。
と、ある年、太阳はじりじり照りつけて大地に热くし、树木は萎れて焦げ、河の水も枯れてしまった。このひどい暑さに耐えられず、夸父族の人たちは次から次へと死んでいった。首领の夸父はこれに心を痛め、彼は太阳を见上げながら、一族の者たちに、“太阳とは実に憎むべき奴だ。私は必ず太阳を追ってつかまえ、我らの言うことに従ってもらうぞ”と宣言した。一族の人たちはそれを闻いて夸父を止めようとした。人々は“绝対に行ってはなりません!太阳は遥か远くにり、追いかけても力が尽いて死んでしまいますぞ”。“太阳はあんなに热くので、あなた様は焼け死にすぞ”とそれぞれ言って止めた。しかし夸父はすでに决心がつき、苦痛に悩む一族の同胞たちを见つめ、“みんなが楽に暮らせるようにするため、わしは必ず行く!”と誓ったのである。
こうして夸父は一族に别れを告げ、太阳の登る方向に向って、大きな足取りで风のように追っていった。しかし、太阳の动きは早く、夸父も地上から必死に追いかける。彼は多くの山や川を乗り越え、大地は彼の走る振动で“ゴロゴロ”と鸣り响き、大きく揺れた。そして夸父が疲れて止り、靴を脱いで中に入った土を大地に落とすと、そこには大きな土の山ができた。また夸父が饭を炊くため、锅を置く三つの石を并べると、この三つの石は三つの耸える山となり、高さは何千メートルにも上る。
こうして夸父は太阳を追いかけ続け、太阳に近づくごとに、自信が涌いてきた。そして夸父はついに太阳の沈む所にまで来たのだ。そして彼は太阳という赤く光る火の玉から、溢れるほどの金の光を浴びた。そこで勇んだ夸父は両腕を広げ、太阳をつかまえようとした。しかし太阳は异常なほど热く、夸父は喉が渇き、ひどい疲れを覚えた。そこで彼は黄河に行き、一気に黄河の水を饮み干し、また渭河に行って、そこの水も全部饮んでしまったが、まだ渇きを覚えたので北に向った。北には非常に大きな湖があり。その水を饮めば夸父の喉の渇きを充分にいやせる。しかし夸父は向う途中で渇きのために死んでしまった。死に际の彼の心は悔しさでいっぱいだった。そこで自分の一族人を思い、手に持っていた木の杖を投げ出したが、杖の落ちたところには、たちまち茂った桃の木林が生えた。この林は一年中茂り、行き来する旅人に凉しさを与え、実となる桃は人々の渇きをいやし、疲れを忘れさせ、元気を取り戻させ、改めて旅立つことができるのであった。
夸父、日を追うという物语は、中国古代の庶民の日照りに打ち胜つ愿いと决意を示している。夸父は最后には亡くなったが、彼の精神は忘れられることはない。中国の多くの古书には、この伝说が记载されて、また中国の一部地方では、地元の大きな山を“夸父山”と名付け、夸父を记念している
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